魔王の弟子の物語 〜Tales of the Dragon's Pupils〜

七話   書・遣





 本は歴史だ。しかし、史実が語られているとは限らない。だがそもそも、何を真実と据えるのか、それは人それぞれに違ってよいはずなのである。

 だからセグレットは、本を読むのが好きだ。それを知っているから、巡回の際に寄り道したトウが、時折人界の本をセグレットへの土産にしたりする。その時に見つけたのだがトウには触れられなかったとのことで、今回、セグレットが出向くことになった。

 トウが触れられなかったもの。それは、青の城から昔に持ち出されたらしい、古ぼけた書だ。青の領域にある都市の、書物が多く集まる建物の、奥まった一角の棚。人の目につかぬよう、誰にも触れられないように術をかけられているという。トウには解術が出来なかったということで、魔王経由でセグレットに指令が来た。実物を見るまではわからないが、術を解く腕はセグレットが一番高い。

「ああ、ここだ・・・」

 人界の人の多さにげんなりしながら、セグレットはようやく着いた目的地でほっと息をついた。図書館と呼ばれる建物の中に入ると、すっと物音が遠のく。沢山の書物の気配と、静かにそれをめくる人々。入口を入った途端に変わる雰囲気にややたじろぐ。図書館、というのに来るのは初めてだったが、ここはそういう、一種独特な場であるらしい。

 たじろいだまま入口近くで硬直していたら、それを見ていた人がこちらへ歩いてくる。それで慌てて、セグレットは足を踏み出した。

 広い。その広い空間に所狭しと書物がある。高い棚はセグレットの身長よりさらに一メートルは上方にあり、棚と棚の間はセグレットが片腕を伸ばした程度しかとられていない。城の書庫も広いのだが、このようにぎゅうぎゅうと詰め込んではいない。本は知識だ。これだけ多くの知識がこの空間に集められているということには、素直に感嘆した。

「すごい・・・。こんな場所があるんだ」

 なんだかわくわくしながら、奥へ奥へと棚の間を進む。すると人の姿がどんどん減っていって、書物はどんどん古くなっていく。手前側の歴史の方が、より新しく書かれたものなのだと理解する。

 奥の奥、棚の終わりに行き着いた。目当ての本を探す。まもなく見つかった。触ろうとするとぴりっと静電気が走る。それでかけられた術の一つに見当をつける。“天罰”の種類の術であろう。トウが解術に失敗した理由に得心がいった。この術は面倒なものなのだ。

「解くよりも・・・誤魔化す方が楽かな?」

 “天罰”の解術は時間がかかる。セグレットは周囲を見渡して、誰もいないことを確認する。それから本に手をかざして“天罰”を上書きした。

『吾は拒みし 吾は拒みし

其の罰を下すことなかれ 吾は其の使命を与えし者

拒むなかれ 拒むなかれ 吾を拒むことあたわず』

 上書きというのは、つまり一種の交渉だ。“天罰”というのは術の中でも融通の利かない部類に入る。だからこそ、逆にこうした交渉が出来る。

『吾に従いしもの 吾への忠誠を示せ

 其に揺らぎあらば 焼けて落つものと心得よ』

 その言葉を言い終えた時、一瞬本が淡く光った。セグレットは微笑んで、躊躇なく本を手にとる。何事も起きなかった。

「開かずの術は・・・あれ、かかってないな」

 どうやらかけられていた術は“天罰”一つのみらしい。ぱらりと適当にページをめくったセグレットは、そのまま小首を傾げた。

「何これ・・・白紙?」

 何も書かれていない。表紙を見る。裏表紙も見る。深い紺色があるだけで、やはり何も書かれていない。目次ももちろんない。

「・・・どんな書なんだろう」

 とりあえず目的は果たした。考えるのは後にして、城に帰ることにする。思ったよりも早く済んだので、久々に人界を歩いてみようかと思った。

 人界は、相変わらず沢山の音があってやかましく、多くの色に溢れて目が痛かった。いくつかの店では書物を売っていて、そんな店だけは見て回る。と、

「・・・?」

 懐に隠したあの書が、ぶるりと震えた。

(何? ・・・まさか、共鳴?)

 そう思うとほぼ同時に、真横の棚から本が一つ、落ちた。

「っ! え・・・本当に?」

 共鳴によって反応したらしいその書に、恐る恐る手を伸ばす。弾かれることはない。ゆっくりと一ページめくって、驚いた。

「赤の・・・」

 赤に属する本であることが初めのページにはっきり書かれている。その文句はこうだ。“南を守りし赤よ、我を開け”。

「えっと・・・」

 どうしようかと思う。見つけたからといって、セグレットがこの書に関わる必要はない。しかし、結局は、

「・・・渡しに行こうか。別に急ぎの用事もないし」

 溜息をつきつつも、無視は出来ないセグレットである。

 

 黒の弟子達と訓練するようになって、空を飛ぶのは得意になった。というのも、黒の城に行くために毎度空を飛んでいたからだ。今ではやや急いでいる程度のトウの速度にもついていけるだろう。必要は上達に繋がるのだと、改めて実感する。

 さて、赤の城上空。セグレットは城の結界にぶつからないうちに地へと降り立った。その門扉の前に立ち、声をかける。

「こんにちは。青の三番弟子、セグレットです。本日は、こちらの落し物を届けに参りました。青の領域、人界の都市にて売られていた、赤に関わる書物でございます。お心当たりはありませんか?」

 しばらく返事はない。が、待っていると、扉がゆっくりと、人一人通れる程度の隙間を開けた。そこから顔を出したのは、セグレットと同じ年くらいの外見をした赤毛の少年だ。

「ええっと、セグレットだっけ?」

「はい」

 名を呼ばれたセグレットは、にっこりと笑う。こちらをどうぞと二つの書の片方を渡す。

「先ほども申しましたが、その書は、青の領域の人界の都市にて売られておりました。赤ものと判断し届けに参りましたが、ご確認を」

 確認のためページをめくろうとした少年は、敵である黒と同じ色した瞳を、曇らせた。

「えっと・・・開かないんだけど」

 え? とセグレットは目を丸くした。一旦返してもらって開こうとすると、簡単に開く。やはり開くではないかと思いながら、文句の書かれている初めのページを見せる。

「ほら、この通り。・・・受け取ってもらってよろしいですか?」

 赤の弟子は不思議そうにしながらも、セグレットの手からもう一度、書を受け取った。それをしっかり確かめたセグレットは満足そうな顔をして、その場を飛び去ったのだった。

 ・・・去っていく背が見えなくなってから、赤毛の少年の後ろに突如立った人影は、その手から書を取った。

「何? サト」

「ラン、開けなかったの? これ」

「うん」

 短く会話を交わし、赤の二番弟子・サトは、ペラリとページをめくった。

「ふぅん・・・何でかしらね」

「わからないの?」

「予想はつくけど・・・」

 内容に適当に目を走らせて、予想でよければ教えるけどと、サトは五番弟子に問う。ランはすぐさま頷く。

「もちろん、予想でも構わないよ。教えて」

「はいはい。・・・多分これ、制限がついてるんだわ。弟子になってからの、年数制限」

「年数の、制限?」

 ええ、と頷いたサトは、さらにページをめくりながら、

「細かくは調べないとわからないけど・・・ざっと五十年くらい。私が開けるのだから、アコは当然大丈夫ね。先ほどの青の弟子・・・セグレットも、制限年数は超えてるのね」

 サトにはむしろ、そのことが不思議だった。

 だいたい五十年ほど。魔王の弟子は年を取るのが遅いが、それにしても、五十年以上も弟子をやっていて外見年齢がまだ十代前半というのは、若すぎるのではなかろうか、と。

「・・・まあ、いいわ。これは私が魔王様に届けてくるから、ランは術訓練を続けていなさい。そういえば、マヨはどうしたの?」

「知らない。・・・またどっか行ったよ」

 四番弟子のことを、しょうがない子だと呆れながら、サトは歩きだした。

 

 届け物を終了したセグレットは真っ直ぐ青の城へ帰って、青の書にかけられた“天罰”を解いた。そして調べてわかったが、その書は“個人の歴史”を読み取る書だった。セグレットは白紙のページに次々書かれる自らの歴史に、ほとんど目を通すことなく、それを魔王に渡して、またいつも通りの静かな生活へ戻っていった。




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