二章 “王宮の明るい廊下” 1
食堂へとキィス、セレフェール二人とともに歩いていたら、目の前から非常に会いたくない青年が猛然と向かってきて、十織は思わず回れ右した。 「おい、待てっ!」 「……俺達先に行くから」 「頑張ってね、トール。……アルスも」 キィスとセレフェールは、その見慣れた状況にすでに何を言うこともなく、一足先に食堂へ向かう。駆けだす十織と彼女を追う青年を背後に。 「こら、トール! 逃げるな、止まれ!」 毎度鬱陶しいことこの上ない、逃げるに決まっている。けれどそこは、やはり歩幅の差。腕を掴まれ足を止めると、怖い顔で振り返る。 「毎回毎回しつこい!」 しつこいと言われ続けて八ヶ月、珍しい銀髪とありふれた茶色の目をした青年アルスは、その程度ではひるまない。 「しつこくって当然だろ! お前、今日こそは帰してやるからな!」 「帰らないって言ってるじゃん!」 「帰すんだっ!」 「決定権は本人にあるんだけど!」 「知るか! 異世界人にそんな権利はない!」 「ちょっと、何差別してんの!」 ぎゃーぎゃー喚きたてるこの二人の口喧嘩は、決して珍しいものではない。アルスは普段王宮にいないが時折来るし、十織はそのたびアルスに捕まっている。騒音に悩まされる周囲の者達は、よく飽きないものだ、とため息をつくばかり。 ――帰れ帰れとアルスは言う。帰らないと十織は言う。譲るということを、両者とも知らないのだろう。しかしまあ、譲れないのも、ある意味では当然のこと。アルスの主張は普通のことで、おかしいのはむしろ十織だ。帰らないと言い張るばかりで、その理由も話さない。 「離せってば!」 「離したら逃げるだろ! 今日こそは、強制的に帰す!」 「……嫌だってば! 離せっ!」 十織はわかっていた。リーレスは、十織の意思を無視して無理矢理元の世界へ戻したりする人間ではない、と。しかし、もしも、ということがある。それを考えると、とりあえず力一杯抵抗するしかない。ええい大人しくしろ、するわけないだろ、と口論と引っ張り合いを続けていれば、ふと、 「……え?」 空気が変わった、 「……え? 何?」 ような、気がした。 廊下は変わらず前に後ろに続く。気のせいか、と十織が息を吐くと同時に、アルスが一際強く腕を引く。 「ちょっ……何!」 油断していたところを問答無用だ。半ば転びかけた十織をアルスがしっかり支える。突然の乱暴に抗議の言葉を続けようとしたが、アルスの真剣な顔を見て出鼻をくじかれる。どうしたの、と尋ねる。 「……トール」 腕を掴まれたまま名を呼ばれ、十織は下からうかがうようにその目を見る。アルスは廊下のずっと先を見つめながら、ちっと舌打ちすると、 「巻き込まれたな。……出るぞ」 ぐいと腕を引かればかりの十織には何が何やらわからず、ちょっと! と叫ぶ。 「何、一体! 何に巻き込まれたっての!」 アルスはずんずんと進みながら、手短に説明する。 「“明るい廊下”だ」 「は? ……何それ?」 「窓の外、見るなよ。どの扉も開けるな。廊下の先だけ見てろ」 「? ……何なの、一体?」 ――これは移動魔術の一種だ。 施術者はおらず、特定の場所で自然発生する。特にこの王宮内で発生するもののことを“明るい廊下”と呼び、巻き込まれた者の三割は、廊下を抜ける前に罠にかかり、いなくなる。 「いなくなる? どこによ」 「いなくなった者がどこに消えたのかは、誰も知らない。わからないんだ」 ……繋がる場所がわからない、偶発的な移動魔術。もし罠にかかったならば、その時は、ただ無事を祈るしかない。 何それ、と眉をしかめた十織の前を行くアルスは、 「知るか。……とりあえず、出口はある。何も見るな、触るな。俺についてこい」 そう落ち着いた声で言う。十織は、掴まれた腕を振り解き自分で歩けると言いつつも、ついつい泳ぐ視線をしょうがなく目の前の背中に固定する。 「……意味わかんない」 不安からか不満からか、そう呟いた十織に、アルスはため息で答えた。
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