何かが変わると思った

六章 “西塔の住人”   3





 言葉というのは残酷なものだ。片面ではお前が好きだと言いながら、もう片面では殺したいほど憎いという。どちらが本当かなど、考えるまでもない。

 兄は、私を幽閉した。こんな場所に閉じ込めた。わずかな食事と水だけを与えられ、この部屋で生きる時間は無用に長く。憎ければ、邪魔ならば、その手で一息に殺せば良かったのだ。その勇気すらなかった兄は、心底臆病者だったのだろう。

 それとも、家族だから、情を捨てきれなかった? 邪魔なだけの存在でも、弟だから、特別な気持ちがあった?

 思えば、まだ幼いうちは、仲の良い兄弟だった。私は兄が王になるものと思って欠片も疑わなかったし、兄もまた弟が敵になるなどとは思いもしなかった。いつから、歯車は狂ったのか? そんなもの、私が生まれた瞬間から狂い始めたに決まっている。

 ――きっと、君にはわかるだろう? 私という存在の歪さを。

 

 

 

 

==========

 

「……そんなの知らない。いいから、出してくんない?」

 十織はうんざりした様子で、扉に背を預けている。その目に映るのは、美しい青年。長い白髪に、一目見たら忘れない金の光を宿す紫の目をしている。その色彩から判断するに、この青年は王の血縁だ。リーレスより今少し若く、日陰に咲く花のような翳った魅力がある。

 十織は現在、この青年に軟禁されていた。いや、軟禁という言葉は、正しくないかもしれない。扉が開かないだけであるから。……何故開かないのかは、わからないが。

「兄弟の縁など、儚く散るものだ。ひとは、血の繋がりなどに惑わされることなく、その欲望を貫くことができるのだから」

「ねえ、訳わからない話はいいかげんやめて、出してってば」

「私は、欲望の被害者だ。ただ在っただけで、闇雲に命を奪われた」

「聞こえてる? 出せっての」

「元より死すべき命とは、あるものなのだ」

 先ほどからずっとこんな感じだ。埒が明かず、ため息を繰り返す。十織はこの塔を、好奇心のために上ったことを、今さらながら後悔している。名乗りもしないこの青年に捕まって、もうどれほどの時間が経ったのか。この部屋には窓がなく、日の沈み加減すらわからない。

 この部屋は、薄暗く、淀んでいる。早く出たいと思う反面……いつから、いつまで、ここにいるのかわからないこの青年の戯言が、耳にこびりついてしょうがない。だから、聞きたくないのだ。出せ出せと騒ぐのだ。

「あのさ、お願いだからさ、もう出して。勝手に部屋に入ったことは謝る。もう来ないから」

 しばらくして、結局根負けしてそう懇願した十織に、青年はようやくしっかり目を向け、一度口を閉ざす。

「……そうか、戻るか」

 初めて言葉を向けられ、内心動揺する。当たり前だろと返し、扉を開けて、と強く言う。

「もう……来ぬか?」

 無表情な青年からは、その言葉の意図も読み取れない。戸惑いながら縦に頷く。

「そうか……」

 青年はそして、実に呆気なく扉を開けた。かちり、と鍵が外れる音が響く。

「行くと、いい」

「……あ、ありがとう」

 先ほどまでまるで相手にもしなかったくせに、一度聞けばすぐ頷く。どういう人物なのかよくわからない。今ようやく、薄気味悪いと感じ始める。

「……来ない方がよかったんなら、もう来ないから」

 そう強調して部屋を出れば、その背に届く、静かな声。

「いつでも来るといい。……私は、サイアスだ」

 唐突な名乗りに、躊躇いながら言葉を返す。

「私は……十織。片倉、十織」

 サイアスと名乗った青年は、何の返事も返さなかった。




前へ   目次へ   次へ