セリオールの手記

馬車の旅





 かたことと馬車が進む。ぼくは規則正しく揺れる。時折、閉じていた目を突然の振動が開かせる。そのたび、御者のおじさんが声を上げる。

「揺れたかい、すまないね! 石を踏んでしまってなあ」

 それならば問題はないと、開いた目はまた閉じる。

 馬車の旅は単調だ。ゆるゆる進む道筋は、時には獣に襲われたりするけれど、小さな子どもが一人で旅をすることができる程度には安全だ。進む、進む、馬車が進む。朝が巡って夜が来る。ぼくが目を閉じている間に、訪れた夜の前に馬車の車輪が止まる。

「今日はここで野宿だよ、お客方! ほら、火を熾すよ。……ああ坊や、お前さんは水を汲んで来てくれるかい?」

 渡された鍋を受け取り、街道沿いに続く川に向かう。これいっぱいに水を入れたら重くて持ち帰れないかな、と思ったら、もう一人の子どもがぼくに続く。

「一人じゃ大変だろ。手伝う」

 ありがとうと頷く。鍋の水を満たし、二人で抱えて戻る。もう焚き火が燃えていて、昼間のうちに獲った鳥を二人で手際よく捌いている。

「おお、ありがとな」

 御者のおじさんは笑顔で鍋を受け取り、その水をもう一回り小さな鍋に分け火にかける。

 串に刺さって直火で焼けていく鳥肉。鍋の中で解けていく固形のご飯。御者のおじさんは、客も合わせた四人分にそれらを分け、ぼくらは静かに語りながら、食べた。

 

 

 この馬車には、二人の大人と二人の子どもが乗っている。御者のおじさん、剣士のおじさん、その息子、そしてぼく。ぼくが一番年下で、ちっちゃくて、四歳年上の剣士の子どもはもう青年に近い。ぼくが子どもだからか、皆構ってくる。構われると、嬉しい。一人でちょっと心細かったからずっと寝たふりをしていたんだけど、こんな風に話しかけてくれるなら、初めからずっと起きていればよかったなと、そう思う。

 剣士の親子は、首都ミアナの手前にある町でお仕事らしい。ぼくはその先まで行くから、途中でお別れだ。子ども一人の旅を心配して、剣士のおじさんはぼくに一緒に行くかいと尋ねてくれた。でもぼくは大丈夫。一人でも行けるから。

 御者と剣士のおじさんが二人交代で見張りをしてくれるという。僕達子どもは夜更かしするなと寝かされて、見上げた空には瞬く星。おやすみなさいと声をかけると、おやすみと返事がある。それに微笑みつつ、眠りについた。

 

 

 次の日の昼過ぎ、剣士達の目的地に着く。中途半端な時間で、今から出発してもまた野宿だからとぼくと御者のおじさんもここで夜を越すことになる。宿に部屋を取る。剣士親子は仕事をしに出ていって、ぼくはおじさんと二人宿屋の一階に昼食を食べに下りる。

 明日の朝に出るから、よければ町を見て回るかい、おじさんは昼を食べながらそう言う。ぼくはありがたく頷いて、食べ終わってから二人で町を歩く。それほど大きい町ではなくて、小一時間ほどで一周回る。

「何か……ちょっと物々しいねえ。早く帰ろうか、坊や」

 その結果何だか町中がぴりぴりしていることに気付き、すぐに宿の部屋に戻る。

 夕飯を食べ夜が来る。あの剣士さん達、何の依頼だろうね、とおじさんがそわそわし出すと、ちょうどよく、宿屋のおばさんがぼくらの部屋の扉を叩く。

「はいはい、何だい?」

 ぼくら二人の顔を、おばさんは何だか緊張した顔で見つめる。

「……何だい、何かあったのかい?」

 いぶかしんで尋ねたおじさんに、硬い声で言う。

「実は今日ね、この町の男衆は、獣を倒しに森へ行ってるんだよ。それでね……戻りが遅いんだ。大丈夫だとは思うけど、町の守りも薄い。お前さんらも、注意しておくれね。何かおかしなものを見たら、すぐ知らせておくれよ」

 そうなのかい、わかったよとおじさんは頷き、おばさんが廊下を歩いていく後ろ姿を見つつ扉を閉める。振り向いてぼくを見る。

「そういうことだったんだねえ……」

 剣士親子は、その討伐隊の中にいるのだろう。帰りが遅いというのは心配だけど、大丈夫だと思うしかない。

「坊や。今日はもう、寝てしまおうかね。全く、何だか嫌な夜だなあ」

 木の窓を開けると、綺麗な三日月だ。ぼくはその光に照らされる町の影を少しの間目に収めてから、窓を閉め、ベッドに入る。それを見届けたおじさんが、室内を照らす蝋燭の火を吹き消した。

 

 

 ふと目を覚ます。何かが聞こえた気がしたのだ。

 隣のベッドを見る。おじさんがすぴすぴと寝ている。薄く窓を開けると、月は天頂を過ぎてさらに傾いている。夜中だ。静かで、遠く狼の遠吠えが聞こえる。耳を澄ましてそれに聞き入る。剣士の親子とこの町の男達は、今でもあの狼達を戦っているのだろうか。

 そんなことを考えていると、目の端に人影を発見する。目を凝らすと、人影は何人もいる。闇に紛れるように動いている。聞き耳を立てると、小さな囁き声がわずかな風に乗って届く。

「……襲って」

「占拠して……」

「今のうち……分かれて……」

 物騒な会話だ。ぼくはその会話を聞き取って、さらにその腰や手に、冷たいものの輝きを見る。賊だ、と思う。どうしようと思いおじさんを起こそうと揺するが、おじさんは全く起きる気配もない。廊下に出て他の客室の扉を一通り叩いてみるが、反応はない。一階に下りて厨房やら何やら見て回るが、誰もいない。

 どうしよう、と思う。落ち着かず室内をうろうろしていたら、裏口の向こう側に誰かの話声が近付く。ぼくはびくりとし隠れようとするが、ここで隠れてはいけないと思い直す。さっきの会話では、脅して奪って抵抗したら殺してしまおうとそんなことを言っていて、しかも今この町には、頼りになる男衆がいない。ぼくだけが賊の存在と企みに気付いて、助けを呼びに行ける。ぼくは一度深呼吸をして、それから、表口の扉をそっと開ける。誰もいない。今だ、と外に駆け出す。

 暗い夜道だ。吸い込まれそうな暗闇に足を出して、その足元を月だけが照らす。町の外へ走る。森の中へ向かう。枝が当たって頬が切れる。何度かこける。この森の中、どこへ行けばいいか。考えもせず走って、それで彼らに会えたのは、幸運だとしか言いようがない。

「っ、誰だ!」

 がさがさと木立をかき分けていけば、焚き火を囲む者達がいる。ぼくはほっと息をつく。

「……あれ? お前、何で、どうしたんだ?!」

 剣士の息子が出迎えてくれる。上がる呼吸と解けた緊張から口が上手く回らず苦労するが、どうにか賊の存在を伝えることができる。それを聞いた男衆と剣士は何言か話し合い、剣士の父親と二十人ほどの男衆のうちほとんどが、町に向かう。ぼくは危ないからと剣士の息子とともにこの場に留まることになり、町に行く者達を見送る。

「やあ、君。よく伝えに来てくれたね! 怖かっただろう?」

 この場に残った者達は、ぼくのことを褒めてくれる。頬や手足の細かい傷を濡らした布で拭いてくれて、水をくれる。

「そうか、賊か……。奥の奴らが帰ってこないのも、もしかしたら賊の仕業かもしれないな」

 首を傾げるぼくに、男達は事情を説明してくれる。男衆は、応援に来た剣士五人を二グループに分けたらしい。三人の剣士がいるもう一つのグループがなかなか奥から帰ってこず、待っていたら夜になってしまったのだという。そうだったのかと納得し、ぼくは森の奥の方を見る。わだかまるように黒いばかりで、明かりの外はとんと見えない。

「気になるか? ……きっと大丈夫だ」

 ぼくを膝の間に抱えて頭を撫でてくれた青年は、そう言って微笑んだ。

 

 

 明け方近くなり、ようやくもう一つのグループが森の奥から帰還する。抱えられたままうつらうつらとしていたぼくは、揺り動かされて目を開ける。

「おはよう。今から町に戻るよ」

 見ると、合流したグループの男達は、何人かの男を縄で縛って引っ立てている。どうしたのか訊くと、あれは賊の仲間だと説明される。やはり、こちらのグループは賊の妨害にあっていたらしい。

 町に戻ると、賊が他にも縄でひとくくりにされ、中央広場でさらしものにされている。

「おお、お前ら帰ったか! ……坊主、お前のお陰だ。皆無事だったぞ!」

 偉かったな、ありがとう。ぼくはそう声をかけられて、ほっとして笑った。

 

 

 馬車がまた進む。馬車の御者席には機嫌の良さげなおじさん。ぼくの前には、剣士の親子。

 剣士の親子の仕事は一夜で済んでしまったので、ぼく達はまた同じ馬車で、首都ミアナに向かって進んでいく。……ルーナリアに行くには、まずミアナに行かなければ。

 胸元に大事に閉まった手記を、服の上からそっと撫でる。

 

 ぼくは、ほんの少しずつだけど、セリオールに近付いていく。




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