セリオールの手記

惑いの森





 剣士のおじさんは、もうやめた方がいいとぼくに言う。

「こんな手記、追っても、どうせセリオールになど会えはしない」

 惑いの森は、この大陸の三分の一を覆う、深い森だ。獣と魔獣、毒のある草、道なき森。この森に迷い込み、生きて帰る者は数えるほどもない。ぼくだってそれは知っているのだ、ましてや剣士のおじさんが、知らないはずがない。

「もう、やめた方がいい。命を落としてからでは、遅いのだ」

 おじさんの言うことは、よくわかる。ぼくだって、無謀だってことはわかっている。でも……。

「ぼくは、行きます」

 たとえ一人でも。ぼくは、ぼくのために、セリオールのために、この手記を辿る。

「……私達は行かない。死ぬぞ、お前みたいな子どもが一人で、惑いの森などに入れば」

 どれだけ言われようと、ぼくの決心は変わらない。ぼくは何も言い返せず、けれどその決意だけを支えとして、挑むようにおじさんを見上げる。

「……」

「……ぼくは、行きます」

「……勝手に、しろ」

 おじさんは、唇を噛んで、ぼくを見る。そして、身を翻す。去っていく。ぼくは一人で、広大で危険な森を進まなければならない。それはひどく心細く、恐ろしいことだけど、今さら引き返すなんて選択肢、ぼくにはない。

「……父さん」

「行くぞ。元々私達の約束は、ルーナリアまでだった。惑いの森なんて危険な場所、ついていくわけにはいかない」

「待ってよ、父さん」

「早く来い」

「……父さんっ!」

 息子が父親を呼ぶ。おじさんは、背を向けたまま立ち止まる。

「俺、嫌だよ! こんな……俺よりちっちゃい子を、こんな場所で、放りだすの?! そんなこと、できないよ! 嫌だよっ!」

 息子はぼくの前に立ち、ぼくの手をぎゅっと握る。痛いほど強く。

「……嫌だよ、俺は。父さんがこの子を見捨てるなら、俺と父さんは、ここでお別れだ!」

 ぼくは驚いて息子を見る。驚きのあまり口をぱくぱくさせ、喘ぐように、駄目だと、言う。

「はあ?」

 そう、駄目だ。親子は離れたら。一度離れたら、離れ続けるしかないのだから。

「ぼくは……一人で、行きます。セリオールに会いに、行きます。危ない場所に行くのは、ぼく一人でいいんです」

 寂しいし、怖い。でも、ぼくはぼくの決断を、おじさんはおじさんの決断をして、それが相容れないのは、仕方ないことなのだ。

「お前、それ本音? あのな、放っておけるわけないだろ!」

 息子が怒る。どうしたらいいのかわからない。

「……やめなさい」

 襟ぐり掴まれ怒鳴られて涙ぐむぼくと息子の間に、大きな溜息を吐きながら、おじさんが割って入る。

「父さんっ!」

 邪魔をされ睨む息子をたしなめるように軽く額を叩き、逆の手でぼくの頭を撫でる。

「……?」

 その手付きが優しくて、ぼくは小首を傾げる。

「……惑いの森に、セリオールがいなかったら」

 おじさんはしゃがんで、ぼくと目線を合わせる。もう一度溜息ついて、

「そうしたら、もう、諦めなさい」

 譲歩、してくれる。それを聞いて、暴れていた息子は動きを止める。

「じゃあ……父さん」

 おじさんは立ち上がり、二人の子どもの前に立って歩き出す。

「セリオールに、会うのだろう。……行こう」

 

 

 惑いの森で、ぼくは全くの役立たずだ。守られるばかり、逃げるばかり。多分、ぼく一人だったら、この森に入った時点で死んでいたと思う。優しく大人な剣士のおじさん、ぼくのことを心配して兄みたいに接してくれる剣士の息子。ぼくは、この人達の好意に甘えている。

 

 ――もし、ここで、セリオールと会えなければ。

 

 おじさんが言った通り、ぼくは、セリオールのことを、諦めようと思う。

 

 

 惑いの森は奥深い。

 もうすでに、どこが一番奥なのか、どこへ行けば戻れるかわからない。そもそもセリオールがこの森の奥にいるのかどうかすら、わからないのだ。……会えるのだろうか、セリオール。どこにいるのか、教えてほしい。名を呼ぶから、あなたを呼ぶから、ここにいると言ってほしい。

 

 

 そうして、ぼくらは森の奥へと辿り着く。

 

 まるで別の場所のようだ。清々しい空気が流れ、暖かな日が射す。花が咲き、ウサギやシカが集う。水が流れている。柔らかく緑が茂る。そこだけが、楽園のような空間。

「……あなたが」

 その楽園に、たった一人の人間。銀に見えるほど色素の薄い長い髪をした、真っ白な青年。

「……セリ、オール?」

 名を呼ばれた青年は、驚いた顔をした後、ふわりと笑った。




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